『日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず』三三藏祈雨事 新編御書874頁

 
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  慈本寺支部総会 体験発表 D地区A・Tさん
 
 みなさん こんばんは
 慈本慈支部のA.Tと申します。どうぞ宜しくお願い致します。
 本日は、私が創価学会から脱会し、縁ある人達を折伏するまでの話をさせて頂きます。
 私の日蓮正宗との出会いは、平成元年に高校時代の同級生や親戚に親戚に創価学会に誘われたことから始まります。
 その頃は、長男が生まれ下の子がお腹に入っていた時期でした。
 当時の私は、宗教とは無縁で興味もなく、私には私には必要ないものと拒否しておりました。
 しかし、友達の熱心な誘いを受けるうちに、何も知らないのに屁理屈ばかり言っている自分の小ささと、立つ位置を変えて物事を見つめてみないと本当の事は分からないのではないかと思い始めました。
 そして、一度真剣にやってみて嫌なら辞めるとの約束で、当時住んでいた所沢の能安寺さんで御受戒を受けさせて頂きました。
 同じ位の子供を抱えた友達と共に会合・唱題会と家庭に支障がない限り参加していました。
 それから間もなくの事だったと思います。
 会合や聖教新聞から入ってくる情報は、宗門問題や、日顕上人対する悪口や批判ばかりでした。
 入信間もない私は、本当の理由も分からないまま、正しいのは学会だと思い込んでいました。
 そして、順番でまわってきた御本尊様の交換も、当たり前のように受け入れてしまいました。
 しかし、頂いた御本尊様が思ったよりも安っぽくガッカリした事、登山にも行けなくなった事には少々寂しさを覚えた事を思い出します。
 当時の私は、学会の方としか御縁がなかったので、それからも婦人部の方達と色々なイベントを企画して、友達を会合へ誘ったり、新聞啓蒙や選挙のお願いとなど学会活動に励み、任用試験まで受けるなど、やれる事は頑張って来たのですが、一家和楽の信心とはいかず、だんだんと主人との性格も合わなくなり、共に生活する事が困難となってしまい、逆に離婚に至りました。
 そのため、子供三人をかかえて経済的に自立しなくてはならなくなり、婦人部の方とも疎遠になっていきました。
 毎日の仕事に追われ、徐々に学会の組織にも馴染めなくなっている自分がいました。
 そして数年の時が流れる中、仕事の縁で三年前に慈本寺法華講の方々と出会う事になります。
 慈本寺の方と知り合ってしばらくしてからの事でした。お昼頃までに近所まで来るとの事でしたが、たまたまその日は私の引っ越しの日でしたので、会う予定はしていませんでした。
 しかし、引っ越し業者のミスで時間が大幅にずれてしまい、時間が出来ましたので、急遽、会う事になりました。
 色々お話しをしていく中で、「学会の御本尊はコピーなんだよ」との言葉に、過去に交換してしまった御本尊に違和感を覚えた事を思い出させました。
 偶然か必然なのか、引っ越しのため、その時大切に手元に待っていたニセ本尊を、慈本寺の御住職に届けて頂くために、ためらいなくお渡ししました。
 後日、本物の御本尊様いただく為に慈本寺に伺い、私は勧戒を受け、パートナーは御受戒を受けました。御住職の温かい人柄に触れ、入仏式も無事に済み、正しい道で信心できることに、感謝と喜びを感じました。
 しばらくは、紹介者の方に誘われれば、一緒にお寺へ参詣していましたが、だんだんと足が遠のいてしまいました。
 当時住んでいた神奈川県藤沢市から青梅まで距離もある事と、共に信心している人生のパートナーと建築の仕事で頑張っているのに、仕事の代金が払えてもらえなかったり、人に利用されたりとなかなか順調に行きませんでした。そういう事もあって、人間関係で悩むようになってしまいました。
 そんな時、慈本寺の御住職から「どうしていますか?」「心配している」との連絡があり、慈本寺の創立三十周年記念行事として、本堂やロビーの改修のご相談をいただきました。
 そして、講の方々のご理解とご協力をいただき、お寺の改修工事をさせていただくことになりました。
  お寺に行く機会が増える中で、仕事をきちんと終わらせる事も当然ですが、他に私達にお返しできる事は何だろうと考えました。
 お寺に行くたびに少しずつ埋まっていく「折伏達成の表」を他人事のように見ていましたが、この表を全部埋めて目標を達成させようと誓いました。
  そして、まずは若くて絶えずケンカばかりで家庭がバラバラになりかけていた息子夫婦と1歳になる孫をお寺に連れて行き、ご住職のご協力のもと、そろって御受戒を受けさせていただきました。
 さらに、現在私の会社のスタッフである小倉さんは、出会ったときは会社が倒産し、身重の妻をかかえ生活がどん底でした。
 色々と相談に乗るうちに、信心をして根本から変わっていかなければ本当に幸せになれないとお話しさせていき、一緒にお寺へ行き御受戒を受ける約束をしていました。
 今回五名の方の折伏をさせていただいた中で、人生初の折伏は私の母でした。
 母は四十八年前、事情があり九ヶ月になる私を手放したそうです。
 父と祖母に育てられた私は、父を亡くした事をきっかけに、母親が元気でいるうちに顔が見たかったのと、生んでくれたお礼が言えればと、九年前の戸籍をたよりに捜し出しました。
 初めて母の家におじゃました時、本棚の学会の書物が目に入り、やはり深い縁を感じていました。
 それから数年後、私が法華講員になった事は、親子とはいえ物心のない時から四十年離れていたので遠慮もありなかなか言えずにいました。
 お寺に行く回数が増えた事と、たまたま母の住まいが慈本寺から車で十分位の所だったので、母とも会う回数が増えました。
 ご住職様からも「お母さんは大丈夫?」と度々声を掛けて下さっていましたので、そろそろ思い切って伝えなくては思っている時でした。
 深く考えず「実は学会を辞めて、本物の日蓮正宗で信心する事になったっんだ」と感じたままを伝えました。
 すると母も「あら、私も何だか学会にはしっくりきていなかったのよ」と、思っている事は一緒でした。
 それなら善は急げとすぐにお寺に行き、その日に勧戒を成就することが出来ました。
 御住職に「一番の親孝行だよ」と言われ、とても嬉しく思い、間近に控えた支部登山に申し込み、母と一緒に登山をする事が出来ました。
 母は、「学会は大石寺は野犬がうろうろし、ぺんぺん草が生えていると言っていたけど、やっぱり嘘だったね」と笑っていました。
 今回、支部登山までに折伏目標を一〇〇%達成したら、猊下様とのお目通りが叶い、記念撮影までして下さるとの素晴らしいお約束いただき、慈本寺支部が一致団結して色々だドラマが起こり、誓願目標を達成することが出来ました。
 法華経員になり、登山が出来る感謝と折伏をさせていただいた事により、以前の苦しかった生活からは考えられない位状況が変わり、現在では仕事も安定し、港区赤坂に事務所を移設、大手建設会社との直接契約を結ぶ事が出来、次から次へと仕事の依頼も増えました。
 昨年の暮れには一人暮らしで頑張っていた母を呼び寄せ、力を合わせて一緒に生活を始める事が出来ました。
 次は、母や私が折伏した人達が感動の体験発表が出来るよう、信心根本に、折伏・唱題に励み、必ず次の目標を達成出来ますように決意し、本日の体験発表とさせていただきます。
 ご静聴 ありがとうございました。

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