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日蓮大聖人御書の一節


 20年22232526〜2
弥(いよいよ)信心にはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし。『阿仏房尼御返事平成新編御書九〇六頁

〈意訳〉 ますます信心を励みなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を男女僧尼必ずにくむであろう。2月 
設ひいかなるわずらわしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐらせ給ふべし。
 『兄弟抄 平成新編御書九八七頁


〈意訳〉 たとえどのような煩わしい嫌なことがあっても、それらは夢の中の事として、ただ法華経(御本尊)の事だけを思いつづけなさい。(平成28年
1月
但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱え候て、最後臨終の時を見させ給へ。『松野殿御返事 平成新編御書一一六九頁

〈意訳〉 在家の身としては、ただ余念(一四誹謗・名聞名利)なく、日に夜に南無妙法蓮華経と唱えて、最後臨終の時を見なさい。
 (12月)
この妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来たらざる事なく善根として動かざる事なし 『聖愚問同抄 平成新編御書四〇八頁

〈意訳〉妙法蓮華経
を唯一の正法と信じて修行に励むことにより、受けられない功徳はなく、動かない善根はありません。
(11月)
 三世の仏は皆凡夫にてをはせし時、命を法華経にまいらせて仏になり給ふ。此の故に一切の仏の始めは南無と申す。『南無御書 平成新編御書一六七二頁

〈意訳〉 三世十方の諸仏が皆凡夫であられた時、命を法華経に捧げて仏になられたのである。此の故に一切の仏のうえには南無という。(10月
命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金(こがね)にもすぎたり。『可延定業御書平成新編御書七六一頁

〈意訳〉 命というものは一身の第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命をのばすならば千万の金にもまさる。(9月) 
此の経を経のごとくにと(説)く人に値(あ)ふことが難きにて候。 『兄弟抄平成新編御書九七九頁

〈意訳〉 この法華経を経に説かれているように正しく説く人に値うのはむつかしいのである。(8月)
法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心に心は報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり。『上野殿御消息平成新編御書九二三頁

〈意訳〉 法華経を信仰する人は父と母への恩を報ずることが出来る。自分自身の心には報ずることが出来るとは思わなくとも、この法華経の力によっておのずと恩返しをしているのである。(7月)
 
臨終已(すで)に今にありとは知りながら、我慢(がまん)偏執(へんしゅう)名聞(みょうもん)利養(りよう)に著(じゃく)して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下(むげ)にかひなし。『持妙法華問答抄』平成新編御書二九九頁 

〈意訳〉 臨終が既に今ある、と知りながら我慢偏執し、名聞利養に執着して妙法を唱えないということは、その志の程が余りにひどくふがいない。(6月)
此の度大願を立て、後生を願わせ給へ。少しも謗法不信のとが候はば、無間大城疑ひなかるべし。阿仏房御書』平成新編御書九〇六頁 

〈意訳〉 この度大願を立て後生を願いなさい。少しでも謗法や不信の失があるならば、無間地獄に落ちることは疑いないであろう。(5月) 
我人を軽しめば還(かえ)って我が身人に軽易(きょうい)せられん。形状端厳(ぎょうじょうたんごん)をそしれば醜陋(しゅうる)の報いを得人の衣服飲食(おんじき)をうばへば必ず餓鬼(がき)となる。 佐渡御書平成新編御書五八二頁  

〈意訳〉 自分が人を軽しめば、還って人に軽しめる。容姿の端正をそしれば、その報いとして醜く生まれる。人の衣服や食べ物を奪えば必ず餓鬼となる。(4月) 
人の多くおもふにはおそるべからず、又時節の久(く)近(ごん)にも依るべからず、専(もっぱ)ら経文と道理とに依るべし。 善無畏三蔵抄』 平成新編御書四三八頁
 
〈意訳〉 多数の人が思っているからといって恐れてはならない。また教義や宗団の成立が古いとか新しいとかによるべきではなく、
ひたすら経文と道理とによるべきである。(それによって正邪を決すべきである)(3月)
此の文は一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々と起こるなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。 『御義口伝』 平成新編御書一八〇二頁

 〈意訳〉 湧出品には「昼夜に常に精進す、仏道を求むるが為の故なり」と説かれている。此の文は、わが一念に億劫という数え切れない長い間に辛労と苦労を尽くして仏道修行に励んでいくならば、本来自分自身に内在している無作三身の生命が瞬間瞬間湧き起っくるのである。すなわち南無妙法蓮華経と唱えていくことが精進行である。(2月)
未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。
日興遺誡置文 平成新編御書一八八四頁

〈意訳〉
いまだ広宣流布していない時においては、身命を投げ捨てて、精一杯、折伏弘通に励むべきである。(平成27年1月) 
小事たる今生の御いのりの叶はぬを(もっ)てしるべし。大事たる後生叶ふべしや。法門申さざるべき様の事 平成新編御書四三一頁

〈意訳〉 小事である今生の祈りが叶わないことから知りなさい。当然大事である後生の成仏が叶うはずがない。(平成26年12月)
詮ずる所は一 念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実なり。 『観心本尊抄』 平成新編御書六五二頁

 〈意訳〉 結局、法華経の一念三千の仏種でなければ、有情(生きもの)が成仏するということも、非情の本像や画像を本尊とするようなことも、全て言葉のみがあって実態がないことになる。(11月) 
身軽法重(しんきょうほうじゅう)死身弘法(ししんぐほう)とのべて候へ場ば、身は軽ければ人は打ちはり(にく)むとも、法は重ければ必ず弘まるべし。 乙御前御消息』 平成新編御書八九八頁

〈意訳〉 章安大師は涅槃経(しょ)に「身は軽く法は重し、身を(ころ)して法を弘む」と述べている。日蓮の身は軽いから、人は打ち、たたき、憎むとも、法は重いので必ず弘まるであろう。 (10月) 
謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓(どっく)の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し。(中略)信謗(しんぼう)共に下種と為(な)ればなり。『教機時国抄』 平成新編御書二七〇頁
 
〈意訳〉 
謗法の者に向かっては一途に法華経を説くべきである。それは毒鼓の縁となるからである。(中略)信ずるにしても謗ずるにしても、共に下種となるからである。(9月)
幸いなるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことよ。  『顕仏未来記』 平成新編御書六七八

〈意訳〉 何と幸せなことであろう。法難を受けることで一生の内に無始以来の謗法を消滅できることは。(8月) 
源にごりぬればながれきよからず。身まがればかげなをからず。 『一谷入道女房御書』 平成新編御書八二七頁

〈意訳〉 源が濁っていればその流れは清くない。身体がまがっていればそのその影はまっすぐではない。(7月)

一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給ふべからず。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御書一一六二頁

〈意訳〉 人間の一生は夢の上の出来事のように、はかないもので、明日の命も分からないものである。いかなる乞食になっても、法華経にきずをつけてはならない。(6月)
能く能く諸天にいのり申べし、信心にあかなくして所願を成就し給へ  『弥源太殿御返事』平成新編御書七二三  

〈意訳〉 よくよく諸天に祈りなさい。信心に怠りなくして所願を成就されなさい。(5月)
千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ()となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のこ()わりなり 『兵衛志殿御返事』 平成新編御書一一八三           

〈意訳〉 千年も集めた苅茅(屋根ふきようの草)も、火にあえばすぐに燃え尽きて灰となる。百年かけてつくりあげた功積も一言で破れる。これは物事の道理である。(4月)
あひかまえて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『経王殿御返事』平成新編御書六八五 

〈意訳〉 心して信心を強盛にしてこの御本尊に祈念しなさい。何事も成就しないわけがあろうか。全て叶うのである。(3月)
されば我が弟子等心身に法華経のごとく身命もをしまず修行して、此の度仏法を心みよ。 『撰時抄』平成新編御書八七一

〈意訳〉 されば我が弟子等試みに法華経に説かれているように、身命を惜しまず修行して、このたび仏法が真実であるかないかを試みてみよ。必ず大果報のあることがわかるはずである。(2月)
只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来らぬ福やあるべき。『聖愚問答抄下』平成新編御書 四〇六頁

〈意訳〉 ただ南無妙法蓮華経とさえ唱えるならば消滅しない罪はなく、招来しない幸いもない。(平成26年1月)

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