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 本門戒壇の大御本尊様を否定した創価学会は
もはや大聖人様の仏法ではありません

 

【会則変更にともない、とうとう大御本尊様まで否定する創価学会】


 聖教新聞 平成26年11月8日号に、『日蓮仏法の本義に基づいた会則変更』と原田会長の説明が掲載されました。

 原田会長の、およそ信仰心のかけらも無い、欺瞞と矛盾に満ちた大謗法の言辞を破折し、創価学会の方が、正法正義に目覚めることを願ってこのパンフレットを作成致しました。

【御本尊様より偉いと思っている原田会長】
「創価学会が受持の対象として認定した御本尊」との言葉ですが、「認定した」とは、仏を見下す慢心であり、仏に救っていただく凡夫の身でありながら、原田会長の「御本尊は我々が選択する」との発言は不遜だとは思いませんか?

 大聖人の「出世の本懐」たる大御本尊は、ニセ法主の謗法にまみれ、汚されたと言いっています。
 しかし『人法一箇』の、つまり大聖人の御魂魄が謗法に塗れたのならば、そもそも大聖人の法は嘘と言うことになってしまいませんか?

「日蓮がたましひをすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(御書685頁)と仰せの通り、弘安二年の本門戒壇之大御本尊は三大秘法の当体であり、大聖人様の出世の御本懐であり、日寛上人が仰せの『究竟中の究竟』なのです。
それと決別をしたということは日蓮大聖人様とも決別したということなのです。
 なぜなら、『人法一箇』だからです。

 本門戒壇之大御本尊と決別ということは、全ての学会員が現在も拝んでいる「大石寺の御歴代上人様が戒壇之大御本尊を御書写された御本尊」の存在はどうなるのでしょうか?
 戒壇之大御本尊をいわば「もういらない」ということですから、代々の猊下様が「戒壇之大御本本尊」を基に書かれた御本尊は意味が無くなりませんか?
「学会認定本尊」とは一体なにを基準とされているのでしょうか?

 創価学会員の「永遠の指導者」である三代の会長は、「大御本尊」への信心を教えています。今の学会員さんはそのことを知るべきです。

【牧口先生】
 大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である(第三文明社『牧口常三郎全集【10】』P151)

【戸田先生】
 本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない (聖教新聞社『戸田城聖全集【5】』所収「立正安国論講義」P156)

【池田先生】
 われわれが登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できることは言うまでもないのである(『巻頭言・講義集【3】』創価学会 P20)
 大御本尊を拝まなければ、もう学会員ではないのです(『会長講演集【10】』創価学会 P192)


【教義や言動がクルクル変わる宗教は邪宗の典型だと学会では教えてきました】
○平成3年の破門直後、在家主義と塔婆・戒名・僧侶引導の葬儀を不要とした
○平成5年に日寛上人書写の淨圓寺所蔵
 常住御本尊を改竄複製し創価本尊を配布
○平成16年に五座三座の勤行の廃止

 そして今回、『弘安二年の大御本尊を受持の対象としない』という教義の変遷
これらが僅か23年の間に相次いでいますが、どう見ても御都合主義とは思いませんか?

 原田会長は「当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実践に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ」変えなかったと説明していますが、この支離滅裂な邪義を、なぜ今頃になって言い出すのでしょうか?

【学会本部の御本尊を中心とするお粗末さ】
 創価学会本部安置の常住御本尊は日昇上人が「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と脇書きを記されていると学会員は自慢します。

 しかし日昇上人は「日蓮正宗64代」の御法主であり、退転者集団の創価学会とは何の関係もない方です。
 どうして大御本尊を離れ、各家庭では二十六世日寛上人書写の偽造本尊を拝んでいながら、それよりずっと後年の日昇上人書写の御本尊が根幹となるのか全く意味が分かりません。
 何か文証はあるのでしょうか?

【学会作成本尊に信仰心の無さが露呈】
 創価学会首脳の信仰心のなさは、日寛上人の御本尊製作過程によく出ています。
 御本尊を勝手に修正し、極限までコストを下げて作製された、プラスチックの軸の「表装風」一枚刷り「本尊もどき」を見た時、よくぞここまで粗末に作れるものだと呆れてしまいました。
 「南無」とは「帰命」することであり、自分の命を捧げ信じ奉るのではありませんか?
 御本尊様を「モノ」扱いしている証拠です。

【退転したことを「魂の独立」と言う哀れさ】
 原田会長は「平成3年(1991年)、日蓮正宗宗門が創価学会を破門し、広宣流布を阻む魔の本性を現した際に、先生がその時を捉えて「魂の独立」を宣言された」と言います。
 池田氏や首脳陣が、自ら独立宣言したのでは、付いてくる会員も少ないが、「どんなに尽くしても受け入れられなかった可哀想な先生や私達」と被害者を装い、多くの会員を独立の道連れにしたかったのが本音です。
狙い通り、破門を勝ち取ったが故に、本部は狂喜乱舞し、真相を知らされず、ただ驚き嘆いている会員を煙に巻くために、「魂の解放」という文言を用いたのです。

【功徳も歓喜も無い学会に未来は無い】
 学会は、自分たちこそ正しいと強弁しますが、何の文証もありません。
 しかも、日蓮大聖人様上の仰せに寸分違わず実践していると言いたいようですが、選挙運動・民音・財務・新聞啓蒙・呪いの題目・コマーシャル垂れ流し・他教団へのすり寄り・友好という名の祭り参加など、これらがどう御書と合致しているのでしょうか?
 どんな宗教でも功徳があると言います。自分達が一番正しいと強弁するなら、文証を示すべきです。
 学会には実のところ何も無いのです。宗教にとって大事な独自の本尊も教義もありません。
 薄っぺらだからこそ、箱物を量産し、池田先生の顕彰にすがるしかないのです。

 年々、学会員が御本尊に手を合わせる時間も減っていくのは当然です。
 そこに、功徳も歓喜も無いからです。
 ニセ本尊か血脈の切れた本尊しかない学会に未来はありません。
 あなたや家族の未来、成仏の為にも、潔く脱会され、共に本門戒壇の大御本尊様に連なった、清らかな信心に戻ろうではありませんか。
 あなたの勇気ある決断を待っています。

    日蓮正宗 慈本寺
    東京都青梅市黒沢2-876
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